2012 | 01 31 |
自らのペルソナを知る事で、初めて自らを知る
ペルソナという言葉、知っていますか。
マーケッターの方や、心理学を専攻されていた方であればよくご存知かもしれませんね。
ペルソナとは仮面という意味で、人間の内面にあるもう一人の自分を指します。
同時に、ペルソナは状況などにより変化し、複数のペルソナを一人の人間が持つとも考えられています。
マーケティングなどで使うペルソナはその人間性を具体化し、ターゲットの行動原理などの想定に用いられます。
自分の中にある、もう一人の自分。
そんな言われ方をすると多重人格者のようですが、全く違います。
多重人格との大きな違いは、自分という存在がもう一人、別に存在している事。
ペルソナは自分という存在の中に、あるものだ、という事。
故にペルソナは自覚的に用いる事が出来ますが、多重人格の場合はその間の記憶がありません。
わかりやすく言えば、猫を被るという表現がそのままペルソナが顕在化しているという表れの一つです。
2012 | 01 06 |
2011 | 11 25 |
基本の中に全てがある 「Helvetica」 #LOVEFONT
webcre8.jpの酒井さん(@glatyou)に誘われて、参加。
自分の愛するフォントについて語ろう、というコンセプトのようです。
ぶっちゃけますと、好きなフォントはないです。愛するフォントも然り。
状況に応じて使い分けてなんぼだと思っているので、先入観を持たない意味でも、好きなフォントはないです。
ただその中でもやはり、多用するもの、というのはあるんですね。
シンプルなものに限られますし、多用しても問題ないものになってしまうんですが。
なんと面白みのない!
さて、そんな私の歪なLOVEFONT。
まるで火曜サスペンスのような歪っぷりではありますが、そこはご愛嬌。
2011 | 11 16 |
2011 | 11 14 |
独立をして得た事、失った事
何かをするという事は、何かを犠牲にする事。
これに関しては間違いがありません。
ただ某錬金術漫画みたいに等価交換、という概念を信じてるなら阿呆です。
状況によって、この「等価」というのは大きく変わる為、ぶっちゃけ当てになりません。
物理や化学の原理原則においての、1のものからは1という等価であって、
精神世界や人間界の価値基準における等価ではない点に注意。
砂漠で死にかけてる状況での水1ℓは命と等価かもしれません。
ダーツが好きな人と嫌いな人とでは、ダーツボードや矢の価値は大きく違う。
同じお金を支払って手に入れたものでも、価値は大きく変わってしまう。
逆説的にいきましょう。
価値は自分で決められる。
いらんもんを捨て、必要なものを手に入れられるなら
喜んで犠牲を増やしていきましょう。