2011 | 04 05 |
やりたい事には真っ直ぐ
最近、文章が書けません。
Twitterで呟く程度の文章は書きますが、ブログという現場で伝えるための文章を書こうとすると筆が止まります。
本日はあえて、リハビリを兼ねての執筆です。
稚拙な文章になりましてもご容赦下さい。
可能な限りユーモアと毒に溢れた記事構成とさせて頂きます。
何がしたいの? と聞けない、仲良し(笑)
「結局、何がしたいの?」こんな台詞を投げかけられた人はおられますでしょうか。
仕事の報告という業務で、上司に言われた事はあるかもしれません。
ですが、友人や知人、果てには家族、恋人。
滅多に言われる事はないでしょう。
それは人を敬い……いえ、自らへの被害を最小限に抑えようとする賢しい人の特性です。
繋がりと安定を求めはしても、土足で踏み込む干渉を求めはしないというご都合主義です。
流石に海外の人の考えまでは存じませんが、少なくとも日本人はそうです。
勿論、私もそうです。
飲み会の席や、食事の場で軽く知り合った人と楽しい団欒を求めることはあっても
夢を語った傍から
「その夢、よくわからないね。結局何がしたいの?」
と言われれば、当然心はざわつきます。
あろうことかそこから先へ踏み込んで来ようものなら、苦笑いをしてその場を去るでしょう。
そして、それを知っているからこそ土足で踏み入るような真似はせず、様子を伺い伺い、結局は聞きません。
結論から言えば、踏み込むだけの覚悟が必要で、そこまでする必要が? と打算的に考えてしまい、動けなくなります。
それが当たり前のように浸透すると、人同士の繋がりというものは希薄になります。
TVに出てくる、近年の女子高生達は隣にいる同級生を「親友」と言います。話を聞けばまだ知り合って間もない。
やらせなのか、と思う程度には人間関係を疑います。
親友と言う言葉の使い方を間違えているにしても、親密さをアピールする胡散臭さに反吐が出ます。
繋がりから生まれる安定、そこに重きを置くが故に、他人を縛る。
どう考えたって「親友」のする事ではないと感じます。
また「親友」の事を聞かれ、「優しい」と端的に述べる辺り、踏み込んでいない証拠です。
これは持論ですが、踏み込みさえすればおおよそ端的に述べるとしても「変わってる」となります。
や、まぁ、私も他人様のやり方に口を挿させるほど、高尚ではありませんが。
そして怖いのは、そうした土俵が当然になると人は安定に走り、リスクを背負うことを忘れます。
また真の繋がりから生まれる信頼を知らない為、人を信じず、また自分も信じられません。
こうなるとまず始めに、話す事を忘れます。
本音・本心を語れない為、塞ぎこみ、2ちゃんねるで憂さ晴らしをします。
気がつくと、自分のストレスのはけ口を用意した上で仮面をかぶり、ろくでもない自分を演じ続けます。
言いたいことが大分遠まわしになりましたが、結論はこうです。
最も恐れるべきは
「夢を語らなくなる」
ここに尽きます。
安定を求めると、踏み込まなくなるというのは上述の通りです。
自分自身が語った夢に対して、干渉が入ると人は躊躇います。
しかし、夢を語らなければ一生繋がることもありません。
いきなり「何がしたいの?」は空気読めてない残念な感じですが、本音をさらけ出す点においては共感出来ます。
こういった踏み込みをしろ、とまでは流石にいえませんし、出来ません。
ただ真に繋がりを求めるなら、覚悟を持って踏み込むべきですし、なぁなぁの関係より遥かにマシです。
協力者を作るという事
希薄な関係が問題という事もありません。いきなりちゃぶ台を返す勢いで切りますが、本音です。
全員が全員と密な関係というのは物理的にも難しく、精神衛生上も良くありません。
ただ多いに越したことはない、というラインです。
その理由としては
「夢を叶える為の協力者」
を増やすのにおいて、多いに損はないからです。
これには大前提として夢を語らねばならず、踏み込む覚悟が必要です。
結果から見れば自らの目的の為に、人との関係を密にする、とも取れます。
論理的に見ればそうでしょうが、感情を踏まえればそうはならないのでご安心を。
やりたい事には真っ直ぐ
自分のやりたい事があるというのに躊躇うのはナンセンスです。一度きりの人生、しかも後何十年あるわけではなく、確率論で言えばいつ死ぬかはわかりません。
そんな中で、日々を苦しんで生きるか、満足で生きるかには大きな違いがあります。
「一度きり」
この言葉はワンチャンスという意味ではなく、何かをする「初め」を大切にするという事です。
失敗も一つの人生です。 成功もまた然り。
成功を望むのではなく、自分のしたい事を何処までやれるかが大事で、成功とは結果論です。
そして「やりたい事」を突き進めるには夢を語れる仲間、協力者が必要不可欠です。
自分のやりたい事だから、と人をないがしろにしたり、関わりを断った時点で夢は消えます。
夢の難しさは
「自分という個人が生み出したモノ」
にも関わらず
「他人という協力者が必須」
であるという面倒臭さとも取れる、要素です。
勿論これは持論。
たった一人で夢を叶える人もいるでしょう。
ただ、通り道には多くの人が介在していることだけは忘れてはいけません。
やりたい事を忘れた人。
やりたい事があるにも関わらず、動けない人。
やりたい事を今まさに行おうとしている人。
夢を追いかける全ての人に、この記事を捧げます。
ま、そこまで高尚なもんでもないですけどね。
大事なことなので二回言いました。