2011 | 04 21 |
やりたい事をやる、という事
これから起業しよう、独立しよう、フリーランスになろうという人に向けて書きます。
そもそも私が今そういう状況にあるので、私自身へ向けた記事とも言えますね。
絶対に反対は起きる
色々な人に相談していれば、必ず反対されます。それは会社の人かもしれませんし、家族かもしれません、恋人、友人……色々あります。
やりたい、という思いが強い分、反対されると反発したくなりますが、一歩留まってください。
「引き止める、反対するのには理由がある」
貴方の事がどうでもいいのなら、誰も引き止めませんし、反対もしません。
その行動の裏には必ず理由があります。
会社の人であれば、人材流出や業務の引継ぎ、コストの面を考えてかもしれません。
家族や友人の場合は、親身になって考えてくれているのかもしれません。
形はどうあれ、理由をもって接してくれていることには感謝すべきです。
ちょっとした話であって、貴方の為に時間を使ってくれていることには変わりないのですから。
そしてこれは人によって様々なので、断言は致しませんが、一言。
「反対されて、考え直すようなら辞めておいた方が良い」
持論ですが、独立などを志す方はやりたい事が明確で、今モチベーションに溢れていると思います。
もしくはただ単純にその環境から逃げ出したいのか。
これらに関しては人それぞれとしか言えませんが、どういう理由であれ引きとめられたり、反対されたりしただけでその気持ちが情などで移ってしまう程度なら、その独立は辞めておいた方がいいでしょう。
気持ちの面でまだ余裕があるか、むしろただ逃げ出したいだけで、特に何も考えていなかったか、だと思います。
逆に、皆が賛成だと言う場合、それは怪しんでください。
ぶっちゃけますと、貴方の事などどうでも良いと思ってる可能性もあります。
今の私の状況を言いますと、反対と賛成が半々というところですが、最終的には反対が増えると思います。
もしくはお膳立て、お世辞の賛成が増える、ぐらいでしょうか。
しかしポジティブに考えています。
親身になって賛成と言ってくれる人の心強さ。反対から賛成になる人。
反対して戦ってくる人。全部私の為に考えて、時間を取ってくれているわけですから。
今やらずして、いつやる
反対されるときに耳にする常套句。「今じゃなきゃ駄目なのか? もっと経験をつんでからでも」
100%断言しますが、今じゃないと駄目です。
むしろ逆に聞きます。
「なら、いつ出来るんですか?」
相手は絶対に応えられないはずです。それを決めるのは自分なのですから。
環境が自然とそうなっていく、とか、もっとお金が貯まってから、とか。
いろいろな理由を揃えようとも、「やろう、いや、やる!」と腹を括った人間の前では、陳腐です。
思った日が吉日なんて言うほどのスピードは必要ありません。
ただ、自分が考え抜いて、やる!と決めたことを裏切る方が、私にとっては苦痛です。
それはつまり相手を思いやって、自分を殺すのと同義です。
「今じゃなくてもいい、確かに」
そう思うかもしれません。でも、本当に再度思いなおしてください。
「なら、いつ?」
決めるのが自分なら、決めたのも自分です。
腹括ったんでしょう。覚悟決めたんでしょう。
「出来ないかもしれない。今の俺では」
なんて思うのもおかしな話。なら、いつの自分なら出来ると思えるのか。
答えは簡単。いつまで経っても「出来る」とは思えません。
「やる」か「やらない」かの二択です。
迷惑はかけるな? 迷惑かけてなんぼ
起業する、独立するとはいえ、一人じゃ何も出来ません。ビジネスするにも取引先が必要なんですから。
日本では相手の迷惑を考えて、自分を殺すなんていう協調性(笑)があります。
そうじゃないでしょう。相手に迷惑を与えたなら謝る。貸しを作ったのなら、返す。
律儀な姿勢こそが協調性を生み出すのであって、迷惑をかけないを前提にしていては、失敗する事も出来ません。
失敗出来ない = 何も出来ない
です。
迷惑をかけてはいけない、は魔法の言葉ですが、裏返すとかなり危険です。
最初必ず失敗します。何回も失敗します。死ぬまで失敗します。
失敗するたびに迷惑をかけたなら、その迷惑分、きっちり貸しは返しましょう。
ビジネスなら、利益に貢献しましょう。やって初めて学ぶのなら、失敗して迷惑かけるのは当たり前です。
誰かに依存して、自分のやりたい事が出来る、は甘い
自分のやりたい事は自分の中にしかありません。しかし、自分のやりたい事が何処かにある、と思うのは甘えです。
自分のやりたい事は自分の中、つまり最初から場所はわかっているわけです。
それを作り出して、形にしていく事が必要なのに、それを怠惰で他の環境へ探しに行く。
これだけ人や会社があれば自分のやりたい事はあるだろう、という惰性です。
ないです。そんなもん。
自分で自分の為に生きなければ、いつまで経っても自分の環境、自分の世界は訪れません。
私は当初、転職と言う選択も考えていました。
しかしそのバックアッププランはバックアップになってないと気付かされました。
ある人の言葉をきっかけに、独立を決意したわけです。
その時気付いたのは、自分のやりたい事を実現させてくれる環境を誰かに依存する時点でおかしい。
遅かれ早かれ私はまたその職場を去り、他の職場を探すのでしょう。一生。
そうなる前に動かなければならない。しかし、不安だ。
とはいっても、選択肢がないわけです。一個しかありません。
なら、それをして、どうやっていくかを考える方がよっぽど有意義な時間を過ごせます。
一度、覚悟が決まれば不安がどれだけしょぼかったのかもわかりました。
安牌を切るのが癖になっていれば、当然危険牌は怖い。怖くて切れない。
挙句の果てには自分の得、上がる事すらも捨てて安全牌を切る。
しょぼい。実にしょぼい。決して勝負には勝てないパターンです。
リスクなんていう大げさなもんじゃありません。
ただ「やる」と決めるかどうかだけです。その気持ち一つで心は晴れやかです。
後は、退職日が確定してくれればもっと晴れやかなんですがね……。
ま、気持ち悪いぐらい動く江並を知っている人は少数なので、今後の活躍に期待していてください。
自戒を込めて。
2011 | 04 15 |
価値観の違いは怖い
昨日、戦慄しました。
退職の意思を伝える、その前段階の話です。
「無価値である事に意味を見出す」
人がいるとは、私思ってもいませんでした。
無価値であると自覚する謙虚さから、頑張れると言うのです。
正直申しますと理解不能でしたし、その方が頑張ってるところを見たことがないので、信憑性も説得力もありませんでした。
つまりこの言葉は、頭の中から出た台詞で実を持った台詞ではない、自分の言葉ではない、という事ですね。
謙虚さや素直さ、そういった事は確かに大事です。
しかしいつまで経ってもそれでは、人間前に進めませんし、時として謙虚さは害になります。
日本人の美徳とも取れますが、相手に波長を合わせて、相手のご機嫌を伺う。
悪く言えば、相手の言いなりになる、という事です。これはビジネスではありません。
ただの家畜、奴隷です。
それを当然のように仰られる辺り、ビジネスを知らず、奴隷として生きていく道を選んだのだな、と思わずにはいられません。
で、それが悪いとか、そういうわけではなく、私が一番恐怖したのは奴隷制度を当然のように押し通す日本の風土です。
一言で言えば教育。
東北関東大震災の影響で、日本の教育の良さが呟かれています。
より一層確信しました。日本は地震大国で火山の活動も活発です。
ともすれば危機的状況に陥ることが多く、その際に自分勝手な人間がいれば、秩序が崩壊する。
自然発生的に、今の教育が生まれたのではないか、と。
強い、と言われれば強いですが、平常時ではこれ以上ないぐらいに過酷です。
常に連帯感や協調性を必要とする社会では、自分の都合で動けず、休みも取れません。
仕事は自分の人生の半分以上を占めます。その時間を苦しみで過ごそうとする日本人は、それはもう偉大でしょう。
そして
「仕事=しんどい」
という図式があるのも特徴です。おかしな話だと、誰も思わない。
ですが、どう考えてもおかしな話です。
仕事は楽しいものでなくてはなりません。常に辛い、苦しい、それは仕事じゃなくて労道でしょう。
日本人の感覚・感性は何処かずれてる気がします。
それこそが美徳なのかもしれませんが、商売をするに当たっては実に不利。
プライベートにおいては良くても、ビジネスにおいては致命的な欠点がある、これではいかんでしょう。
どちらが良い、悪いを突き詰める気はありませんが、少なくとも私には馴染みません。
それ故に独立という道を踏み出せたのだと思いもします。
日系組織の中で労道する気にはなれませんし、奴隷になる気もありません。
自分の道は自分で。自分のやり方を貫き通してビジネスとする。これが一番です。
ただ価値観の違いは怖い。
商売相手が日本人である以上、どうしてもこの価値観との戦いは続く。憂鬱です。
しかし、自分のやり方を貫き通すのなら、それ相応のモノを持って、相手に接する。
これがビジネスで、そこで初めてWinWinが出来ます。
多分、茨の道でしょうね。私のは。
普通の独立とは何処か違うような気がしています。
道を歩くのではなく、階段を上るのでもなく、穴を掘ってるような。そんな印象です。
でも楽しみです。これから。
色々な人との出会いが、本当の意味で自分の力になっていく、そんな気がしています。
こんな尖った奴ですが、何卒、これからも皆さんよろしくお願い致します。
2011 | 04 11 |
インハウスSEOさんへのアンサー記事
インハウスSEOさんの記事に以下のものがありました。
「新規サイト製作時のSEOについて」 – インハウスSEO
これ、非常に面白いです。考えさせられました。
ただ私とは少々意見が違ったので、私なりの意見を記事のテーマにあわせて書いてみます。
新規サイト製作時にSEOは必要? 必要ない?
結論から言うと、必要です。ただ、インハウスSEOさんは私と同じ考えでありながら、言葉が違うだけの気がします。
つまり捉えてる部分が少しずれている?
SEOを意識して作ってしまうと、サイトの構成が本来の目的からずれてしまう。
なのでSEOを意識せずに、まずはサイトの目的を最優先。
即ちユーザビリティを重視したコンテンツ作り、導線設計をしましょう、という事。
確かにコンテンツは元々ユーザーの為に作るもの。
ユーザビリティを考慮しないコンテンツ制作や導線設計は無駄です。
で、これはそのまんま「SEO」とも言えます。
SEOとは古来より検索エンジンの最適化であるとお偉い方が、ゲロ吐く程言ってきました。
それは検索エンジンが好む形にサイトそのものを最適化する、という事です。
検索エンジンが好むものとは昔から大きく変化しているでしょうか? 答えはノー。
ただ技術力不足で実現できていなかっただけで、基本的な部分は変わっていません。
それはまさしく、上述した「コンテンツ」であり「ユーザビリティ」等です。
時代によって変化していくものである為、どの形が正しいという定型が存在しません。
ここが難しいところで、それじゃぁSEOって何するの? と言われると耳が痛くなります。
結局は文章のボリューム? 画像ない方がいいんじゃ? キーワード詰め込み? なんて話になります。
しかし、それをユーザーが喜ぶでしょうか? 喜びません。
ユーザーが喜ばないものを検索エンジンが喜ぶでしょうか? 喜びません。
具体的にどう、といった形では明示できません。
理由としてはコンテンツやユーザビリティは時代だけでなく、サイトによっても変わるからです。
しかしユーザーが求めるものをサイトで表現しなければ、それはSEOとは言えません。
インハウスSEOさんは新規サイト設計時はSEOは必要ないと仰りながらも、SEOが必要だと断言している。
私の感性ではそう感じます。
しかし、いざ文章にしてみると難しいテーマですね。
自分でも何かいてるかわからなくなってきたww
だからSEOって結局は制作会社がやるか、SEO業者が制作やるかっていう方向にならないと駄目だと思うんですよね。
基本設計やサイトそのものを検索エンジンに最適化しなきゃ、これからの時代Webの存在意義がない。
ならWeb屋はそれを作ってお金貰うんだったら、それに見合うだけのコストに対する利益を提供しなきゃいけない。
今みたいに各々が作って終わり、SEOして終わりじゃぁ話にならんわけですよ。
協力体制ってのも難しいだろうから、製作能力を持ったSEO業者が強いんじゃないかな、と予想。
2011 | 04 07 |
やりたい事を纏めて公開してみた。
面白ければ、何でも良いと思います!
これやりたいなーって思ってても、中々実現出来ない……。
それの多くの原因って、自分一人でやろうとするからじゃないですかね?
だから、やりたい事があったら話してみる!
公開してみる。協力者を求めちゃってもいいかもしれない!
パクられたら?
いやいや、ここはそもそも論。
「パクられて、誰かに実現させられるようなものは、その程度のもの」
自分にしか出来ない事って大事じゃないかね。
だからパクられて、誰か代わりの人に成し遂げられちゃうなら、それはその程度のもんだし、逆に自分がやったら上手く行かなかった事かもしれない。個人的にはそうだと思っています。経験上。
ノウハウと一緒で、公開して盗まれちゃう程度のものなら、そりゃ自社独自のものではない。つまりノウハウじゃないって事ですよ。
まぁ、一部の業界は除くのかもしれませんがね……。
とりあえず、何個か列挙してみる。
2011 | 04 05 |