2011 | 03 04 |
自分が望む事を追求するというのは、根本的か一時的かで大きく異なる
teruyastarさんの記事に触発されて書いています。
元記事はこちら。トラックバックは送らせて頂きましたが、ここから先はむしろ自分の意見です。
あくまでteruyastarさんの記事に触発された、少し違う記事になっていますのであしからず。
大きく見れば、願いも欲望も同じです。
どれもかれもが人間としての欲です。綺麗に言ったのが願い、とでも言いましょうか。
その欲求を果たすという行為を正義として認められるかどうか。
社会という組織があり、現代ではシステムとしてそれらが構築されている以上、それに反する行為は罪となります。
人間が人間として決めた罪に。
長くなりますが、夢を追うという事をいつも以上に深く追います。
自分が望むことを追求するのか。他人が望むことを追求するのか
teruyastarさんの記事にあるように、大勢の著名な方は他人の好きなものを作ると語っています。赤松さんに至っては、そうしなければいけない、とも断言していますね。
客観的に見れば「他人が望むことをする」という事です。
ですが、実際には違います。
大きな勘違いをされそうですが、赤松さんは間違いなく「自分が望むこと」をしています。
わかりますか?
必然に迫られて嫌々やっているわけではないんですよね。
最初は嫌々だったかもしれませんし、退路を確保していたからこそ自由にしていたのかもしれません。
「面白い作品を描く!」
という意気込み以上に
「漫画家としてやっていく」
という想いがあったのではないでしょうか。
そうなれば必然的にどういう漫画を描くべきかは到達します。
その上での結論で「人が望む商品を描く」という結果に至ったわけでしょう。
ビジネスとしては当然ですね。
自分が何をして欲しいかも大切ですが、根本的には相手が求めている期待に応え、対価を貰うのがビジネス。
そういう視点で考えれば、漫画家も大衆が求めている商品を描くべきで、作品を描くのはアーティスト。
クリエイターは特にそういう自分自身がモノを作れるからこそ、自分本位に考えてしまいがちです。
実際には人の為にならないモノを作ったところで誰も利用しない。そんなモノに価値はありません。
自己満足だというのなら、売るべきではないし、自分の中で完結しておけばいい。
少し脱線しましたね。
つまり、ビジネスをする時点で他人が望む事をするのは当然なんです。
漫画家だろうが、映画監督だろうがそれは一緒で、当たり前。
でも私はあえてその中で「自分が望む事をする」と断言します。
いえ、正確には宮崎駿も赤松健さんも皆、自分が望んでいるんですよね、それを。
他人が望むものを描く事、作り出す事が楽しみ、快感なのだと。
自分が作りたいものを作っているわけではない、そう。
わかった方もおられるでしょうが、私が言いたいのはここです。
「自分が作りたいものを作っているわけではない」
と
「自分が望まない事をしている」
はイコールじゃないという事。
これは難しいところで、クリエイターと呼ばれる人達は常に悩まされているのではないかな、と。
自分の創りたいものを創る、という欲求。しかし、それでは売れないしやっていけない。
けれど、最終的に自分が望むのは何なのか。
それを創る事が望みか? それとも喜ばせること、楽しませることが望みなのか?
作る事が望みなら、それを仕事にすべきではなく、喜ばせたい、楽しませたい。
そういった「期待に応える」という欲求ならば、仕事にすべきです。
何故ならそれこそがビジネスなのですから。
夢を追うとは、自分のしたい事をする事。そして同時に他人の期待に応える事
夢を追いかける難しさとは、ここにあるんです。夢を叶える事自体は、簡単です。
以前から声を大にして言っていますが、夢とは「○○になる」ではなく「○○をする」です。
なので夢を叶える事は難しくない。
問題なのは、夢とは自分という人間の根源的な欲求で一生なくならない、という事です。
つまり「○○をする」を半永久的に死ぬまで継続することが夢を叶えるという事になります。
出来ますか? 恐らく一時的に叶えている瞬間はあれど、それを日常にしている人は一握りではないですか?
これを日常にする為に、自分で舵を取る、自分で運命をコントロールする。環境を構築する。
それが必要になってきます。
しかし、前述しましたように社会というシステムが世の中には存在します。
その環境下で自分の夢を叶え続ける為には、多くの障害があります。
乗り越えるために、多くの事をしなければならない。
そのうちの一つが「他人の望む事をする」です。
いわゆる自分がしたい事、いわゆる「夢」に「社会性」を付与するという事です。
ビジネスとして夢を叶え続けるのであれば、人の役にも立てます。
基本は自分本位の「夢」ですが、それを実現させ続けるために社会という環境を利用し、ビジネスにしてしまう。
勿論、私もそうです。
昨日の決意表明にあるように、私の夢は「仲間と一緒に仕事をする」です。
これを実現し続ける為には、半永久的に仕事をしなければなりませんし、仲間を集め続けなければなりません。
お金も必要ですし、環境も必要。これを他人や組織に委ねることは出来ません。
何故なら自分のしたい事であって、他人や組織は無関係だからです。
自分のしたい事をする為に、環境を構築し、運命を決める。
その為の独立であり、ビジネスです。
夢を叶える事が出来るのならば、ありとあらゆる手段を使います。
その一手段があくまで、ビジネスであった、とそういうだけの話です。
夢は人によって違います。
当然、意見の相違はあるでしょう。夢が違えば、手段は変わってくるのですから。
ただ注意すべきは「○○になる」という目標着地点は戦略の結果であって、夢の実現ではありません。
夢を実現するための戦略として「○○になる」という結果が必要なだけで「○○をする」という本来の目的は完結しません。
夢は終わらないという事です。
一生付き合うのなら、楽しめる方法が一番良いかと。
自分が望まない事をして、成功した人がいるとは到底思えません。
心の底から自分が望む事をする為に、したくない事をする人は大多数でしょうが。
私だって、会社辞めてリスクなんかおかしたくないですよ。安定してお金くれるならありがたいです。
辞めれば確実に家族は心配しますし、変なプレッシャーを浴びながら仕事しますし、路頭に迷うかもしれません。
でも、それがどうした、と。
自分が心の底から望むのなら、そんなのは当然です。
ビジネスをするのなら、夢を叶える為の戦略実現の為には、どんな苦渋も美味しく頂きます。
そういうものです。