2010 12
09
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文字情報の大切さ

カテゴリ:雑談 タグ :

扁桃炎で高熱を出し、ぶっ倒れておりました。
皆様方、お久しぶりです。
Twitterなどで心配してくださった方々、感謝致します。おかげさまで無事生還出来ました。

いや、それにしても驚きました。
私、見た目ひょろひょろなのでそう思われないのですが、実は病気に対する耐性が異常に高く大きな病気には一度もかかった事がなかったんですよ。
予防接種や判子注射といった類のものを一度も受けたことがないんですが、どうやら生まれつき病原菌に対する抵抗があったらしく、それらを受けなくても良かったんです。

ところがどっこい、今回はまぁ風邪なので大きいとは言いませんが……
普段病気しない私にとっては大いなる誤算でした。遺産ではなく。
しかも四日間も寝込みました。冗談じゃないですよ。おかげでブログも休止です。ネタは溜まりましたが。

と、転んでもタダでは起きないっぷりを示して、本題に移ろうかと思います。
今日は文字情報の大切さ。つまるところ文字、文章、言葉の大切さと大きく括ります。

はじめに
インターネットを使って、コミュニケーションを取る事が当たり前になってきた現代では口語で喋ること以上に、文章などの文字情報だけでのやり取りが盛んです。
携帯でのメール、チャット、ツイッター。mixiのボイスもありますし、ブログも大流行です。

ところが文字情報だけでははっきり言って、足りなさ過ぎるのが実情。
相手の顔も見えなければ、素性もわからない中で情報の信憑性を得る方が難しい。
しかしそんな事を言い出しては情報を発信出来ない。ご尤も。

なればこそ重要になってくるのが、文字情報自体の信憑性です。

文字、というか文章というのはその人の勝手やコミュニケーション能力が顕現します。
「話す・聞く・書く・読む」
と言うように、コミュニケーション能力には書く能力も含まれているからです。
ただ、勘違いしないで欲しいのは文章が上手い = 口も上手い ではないという事。人には得手不得手があります。

少し脱線しました。
さて、私の文章を例に出しますが、よく「毒舌」だと言われます。
意識して書いている時とそうでない時とがありますが、総じて毒の舌なのだと思います。
それは私の癖みたいなものです。まさしく人間性が現れちゃってるわけです。
この人間性、つまりキャラクターが実在とは全く違う事は良くあります。ただ一つのキャラクターではあるのです。

そのキャラクターを通して書き手の信頼性が増します。
これが何故、と言われますと詐欺師は仮面を被り、口や動作(他ありますが)で相手を騙します。
騙す相手を選び、騙しやすい相手を騙します。

実はこれと同じ事をしているんです。
興味ない人、騙されない人は記事をスルーしていく。文章を読まない。
興味がある人、騙される人は記事を読む。その時に騙される人自身が望む情報、ないし、好意的になれるキャラクターがそこにいればコロリと騙されてくれます。勝手に。
勿論、情報の裏づけや参照元の提示などは重要です。しかしそれがなくとも勝手に騙されてくれます。

詐欺と同じ手口だと書くと悪い言い方になりますが、我々書き手というものはキャラクターを文章の中に落とし込み、そのキャラクターを通して読者を信頼させます。
でなくば、誰が記事を読みますか。これは極論ですが。
嫌いな人の文章をわざわざ読む人はそういません。興味本位で読んでるなら、それは私からしたら「嫌い」ではないです。

ではキャラクターをキャラクターせしめる、私で言うところの「癖」とは何処で生まれるのか。
実はこれもそう難しい話ではないんですよね。

文字は文字
文字は文字です。それ自身が意思を持っているわけではないので、この単語達は癖に成り得ません。
となると結論として残るのは「書き方」となります。

しかしこの書き方も難しい話で、国語の時間に習ったことを必死に思い出して書かなければいけないのか、と言われると少し違います。
丁寧な日本語を書けるのならそれに越したことはありませんが、丁寧がキャラクターを生み出すわけではありません。
書き方というのは、文字をどう扱うか、という事に話の結が向きます。

「私は昨日、風邪で寝込んでいました」
という小学生でも使えるありきたりな文章から

「うち昨日は風邪で寝込んでたんですよー」
というちょっと女子学生っぽいものに変化させたり

「昨日、少しばかり風邪で寝込んでしまいました」
丁寧な若者風に変えたり、彩を加えると更に変質させる事が出来ます。

「風邪で寝込みました。情けない。あ、昨日の話です」
間に自分に突っ込みを入れる、エンターテイナーとしての文章とか。

最も距離を近く感じさせるのは、恐らく最後のモノでこれは文章としての力以上にその文章から発せられるキャラクターに好意を抱きやすい為です。
何故なら間に突っ込みを入れる事でデータではない、書き手がそこにいるんだと実感させてくれるからです。
逆に最も遠いのは最初のものでありきたりで誰でもかけるからこそ、逆に機械的になってしまう、という事ですね。

文字は慣れてしまうと、つい綺麗な完璧な日本語を書こうとしてしまいがちです。
そうではなく、文字としての立ち位置を再確認して、その文字の意味をしっかりと理解する事でまた違う文章が見えてきます。
最も参考になるのは好きな文章を書く人です。
それは正しく自分が書きたい文章とほぼ合致するので、一読して盗めるだけ盗むのが吉です。

一番宜しくないのは書き方が、安直であったり、バラバラである事です。
これはキャラクターを掴めなくなるのが一つと、上述したように機械的になると楽しくなくなってしまうからですね。

おわりに
一通り書きたい事を書いたって感じで、おしまいです。
ここに書いてあることはタイトルにある通り「異論持論」であって、ルールなわきゃありませんし、参考にする必要すら皆無です。
文章は一方通行。
だからこそ、必要とする人、興味ある人が私の毒を自ら食らってくれるのです。

文章は楽しむ。
文章は遊ぶ。
文章は自己満足。

誰かに発信してることを意識して書く事も大切ですが、遊び心はもっと大切です。
その遊びに対する努力はいずれ実を結びます。
ただ注意なのは、どれだけ文章が優れていてもそれを纏め上げる構成がなければ死に文です。
折角なのでそれを生かしてあげる良い構成を考えてから、文章を書いてあげましょう。

ちなみに私は構成を考えず、勢いとノリで書きます。
それが良い悪いはともかく、勢いがある時はその人にしか書けない文章が出来上がるもので自分自身も必見です。

そして最後に毒のコツと諸々で終わります。
私の毒舌は意識して出しているときは必ず引き合いに「何か」を持ってきます。
大概それはネガティブなものであったりしますが、少なくとも刺激的なものです。
例えば以下です。

「文章というのは楽しんで書くものです。遊び心、自己満足、それありきで初めて成立し人が読みたくなるものが書けます。それなしに誰かの為を前提に置くのであれば、偽善が成立。天晴れ、大抵誰の役にも立ちません。であればチラシの裏にお願いしたい、というのが読者の本音でしょう。読者はわざわざ誰かの為だなんて大義名分掲げてるだけのお偉い方の文章が読みたいわけではなく、それなりに楽しめる文章で為になる情報が欲しいだけなので」

ぶっちゃけここまでは思ってませんが、もしかしたら思ってるかもしれません、ぐらいで。
毒として引き合いに出した最初の文字は「偽善」です。
聞き手によってはこの文字の意味は難しく、少々解に困ります。
それをあえて「悪の文字」であるかのような言い回しで毒づいています。
そして連なる形で「チラシの裏」。本当の自己満足だけなら発信すらするな、という意味合いの本当の毒です、これは。
他、細かい掛け合い、引き合いを繰り返し毒を綺麗に纏めて、吐いています。失敗するとただのむかつく文章になるところが玉に瑕ですが、大体は楽しめてかけるので必要以上に気にする事はないのかな、と思っております。

今回、文字情報の大切さという事であえて文字装飾をしていません。
読みやすさに気を配るのも、構成と同じぐらい大切。
装飾に頼りすぎるのも問題なので、まずは文章だけで楽しんでもらえるような構成と文字を。

あ、勿論。使っては駄目だとかそういうのではありませんので。
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コメント
  1. 2010年12月09日


    お帰り より一皮むけて強力になってきた気がする。
    いい事だと思う。

  2. 江並 公史
    2010年12月10日


    ありがとうございます。
    また魂を込めて書いていきます!

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